スーパーアイドルの滝沢秀明は、どうしてジャニーズに入所したんでしょうか?
日本テレビで放送された「1回回って知らない話」で、ジャニーズ目指したきっかけ、ジャニーズあるなるなウワサなどについて、答えていました。
今回は、滝沢秀明がジャニーズ入ったきっかけを詳しくみていきます。
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「女の子」と言われた可愛すぎる幼少期
35年前の1982年に東京都八王子市に、三人姉弟の末っ子として生まれた滝沢秀明。
当時は、1人で人形やぬいぐるみと遊んでいたようです。
その時の写真がこちら。
生まれて間もない頃のタッキー。目元が今と変わらない感じです。
今度は、3歳の時のタッキー。
「女の子」と言われた頃の写真です。この頃、ぬいぐるみや人形と遊んでたそうですね。
夢を諦めた13歳
当時13歳だった滝沢秀明は、アイドルでなく、意外にもプロレスラーになることを夢見てました。
ちなみに、その時憧れてたのは、当時人気のあったプロレスラー・大仁田厚だったことを明かしています。
しかし、学校でプロレスごっこする時も、持参したマスクを着用するくらいシャイだったことと、体が小さかったことで、プロレスラーの夢を諦めたのでした。
でも、ステージに上がって注目を浴びたいという漠然とした気持ちはあったそうです。
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姉のD好きに影響されて、ジャニーズへ
ジャニーズ好きの姉がいたタッキーは、当時一世を風靡してたKinKi Kids 堂本光一 を目にします。
その時のことを、タッキーが語ってます。
姉がKinKi Kidsの堂本光一くんが凄く好きで、見る機会があったので、自分でやってみようかなって思った。
情報元:一周回って知らない話
ジャニーズ事務所に自ら応募し、ジャニー喜多川社長の目にとまり、ジャニーズの入所が決まりました。
もちろん、オーディションも受けてます。
なので、滝沢秀明自身はジャニーズを長く続けられるのは、自分から進んで選んだからだと喋ってました。
ちなみに、憧れてた堂本光一は、姉が応募して合格してます。
異例のスピード出世
オーディションに受かり、ジャニーズに入所して1週間後にジャニー喜多川社長から、憧れてたKinKi Kidsのコンサートでアリーナデビューさせられます。その更に半年後には、ドラマデビューを飾ることに。
初めて主演したドラマは、1995年のフジテレビのホラー系ドラマ「木曜の怪談」。その中でも看板作品だった「怪奇倶楽部」にドラマデビューにして、初主演もしてました。
ちなみに、「木曜の怪談」シリーズは滝沢秀明だけでなく、元SMAP・稲垣吾郎や草なぎ剛、タッキーが憧れてた堂本光一が出てたり、人気若手アイドルを起用することが多かったです。
試された14歳
デビューして間もない14歳の滝沢秀明は、CDデビューもまだしてないため、マネージャーは付かずに営業回りすることになります。
14歳ですが新幹線に乗り、仕事先へ行き、体調管理なども自分でやる必要があったのです。
体調管理といっても、忙しかったでしょうから、カップ麺など今では想像もできない食事もしてたようです。
そして、自らの衣裳チェックや、舞台回りの確認まで、全て滝沢秀明みずから行う必要があったのです。
どんなことにも柔軟に対応できる対応力を身につける-これが、ジャニーズ流教育術と言われてます。
14歳には、かなりキツイ時期だったと思います。しかし、インタビューで「辞めたい」と思ったことは?と聞かれた滝沢秀明は、
自分がやりたくて入ったから
と答えてました。14歳としては凄くしっかりとした受け答えでした。
でも、そんな滝沢秀明でさえ「辞めたい」と思った出来事が起こってしまうのです。
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